もしも会話ができたなら?

何とでも話ができればいいのにと、ときどき思う。

 

ここ数か月で一番多かったのはたぶん会社の精密機械相手。

これがまたひどい気分屋で、同じ天候・同じ気温・同じ準備をしていても、日によって全然うまく動いてくれる気配がしないときもあれば、一発でうまくいくときもある。

最終手段「斜め45°をひっぱたく」があるけれど、ほとんど発令しない。

はたしてこの機械一台分が何年分の年収なんだろう……と考えると気が遠くなるから。

 

前置きが長くなるのが私の悪い癖だけれど、本題。

 

多肉のつぼみ、正確にはつぼみをつけていた茎がしおれてしまった。

世話をしすぎたのかもしれない。

「水をあまりやらなくても大丈夫、とはいえ、これくらいなら」と調子に乗った気もする。

多肉の世話をするのは今回が初めてで……という言い訳なら一応あるけれど、寄せ植えの他の子はちゃんと白い花を咲かせてくれたので、あまり説得力がない。

種類は違えど、同じ土(鉢)の上にいたエケベリアは咲いて、セダムは枯らした。

ちょっと切ない、いや、楽しみにしていた分なおのこと悲しい。

黄色に色づいていた二輪のつぼみは私のせいで枯れたのか。

こういうときセダムと話ができていれば、なんていうのは責任転嫁か現実逃避でしかない。

 

同じく植物で、数か月前にティランジアも一度枯らせている。

エアプランツという別名通り、「空気中の水分を吸って育つ!」といううたい文句が興味深くて、誕生日プレゼントで一度買った。

それから自分でも育ててみたくなって、同じ店で違う種類の子を買ったのだ。

根元の葉が縞模様になっていて、かわいいなと直感で選んだ。

 

ところが実際手にしてみると、想像以上に本体はカラカラだった。

生育の簡易説明には、週に何回か霧吹きで水をやるミスティング、月に数回植物ごとまるっと水に漬けてやるソーキングという世話の仕方がある、と書いてあった。

いまいちわかりづらいなとネットで調べてみたら、だいたい同じようなことが載っていた。

アバウトなもんだなと高をくくっていたら、一週間もたたずに葉がばらばらになって、枯れた。

あのときの自分の記憶をたどると、腐らせた、が正しいかもしれない。

 

このティランジアショックが個人的にはかなり大きくて、しばらく枯らしてしまったことを受け入れられず、残った根元の下部だけをとっておいたりした。

そこから新芽が出てくることもある! なんて奇跡的なケースを知って、ここでも起こるかもしれないと期待していたからだ。

でも私はよく知っていた、「奇跡はめったに起こらないから奇跡という」ことを。

当然のごとく、またしばらくして根元もカスカスに乾いてしまった。

初めて植物のお墓を作らなきゃ、と思った。

それくらいショックだった。

 

普段ならここで「向いてないんだ、諦めよう」となるのだけれど、ティランジアに関してはそうならなかった。

結果的にそれから4つの株をまた手に入れて、手入れ種類の載った本も買い、ネットを漁って、なんとかうまく育てられている(ように自分では思っている)。

前回と違うのは、「ティランジアだからティランジアとしての世話を」というより、「それぞれの個体には何が必要か? どうしてあげればいいか?」と向き合うようになったこと。

もちろんティランジアの中にも水がたくさん必要な種や、ほとんど水やりのいらない強い種がいるけれど、そのうえで目の前の個体はそれぞれ違う、ということを実感できるようになった。

 

よく考えれば当たり前のことだった。

教科書通りに物事が進むことなんてほぼゼロに近い。

一辺倒に同じことをしていたら、そりゃ個体差が生まれる。

なんとなく自分の中で、人間やそれに近しいものは種の下に個体差があると意識していたけれど、それ以外は種のくくりで見ていたのかもしれない。

 

そういうわけで試しにと、4株それぞれに名前でもつけようかと思ったのだけれど、それはそれで愛着がわいて後がつらいかもしれない……いやでも……なんて迷っている間に、一番大きいティランジアイオナンタの株の根元が茶色くなってきた。

だいぶへこんでいる。

水やりの頻度も記録も手帳につけるくらいに可愛がっていたのに、またこれだ。

十中八九、先週の雨の時期に風通しが悪くてミスティング後の水がきちんと乾かなかったことか、6時間以上ソーキングしていたことが響いている。

それでも、原因がわかっていて早めに対処できるなら、何か方法があるはず。

会話はできないけれど、毎日見ているからには状態の変化くらい気付ける。

そこまではバカじゃない、と思いたい。

 

来週の同じころに、元気な姿のイオナンタの写真が載せられたらいいな。